【豊中駅前の歴史:65】阪急豊中市場西側(2015年4月)

阪急豊中市場(現:チェリオビル)西側の通りを振り返る
今回はツジヤ時計店の店主辻和男さんからお話をお伺いしました。
——辻さんのお店が開業されたのはいつ頃ですか。
辻氏:昭和21年頃と思います。父が復員して直に、駅前で開業しました。昭和23年に阪急市場の向かい側に、店舗付き住宅が並んで建てられると聞き、今の場所に移ったと聞いています。私の若い頃は、銀座通りはその頃は通行量も少なかったので、バスや車は行き交っていましたね。
——いつ頃に銀座通りは一方通行になったのでしょうか。
辻氏:はっきりとした記憶はありませんが、50年以上前ではないでしょうか。私が若い頃よく父は、「商店街にバスが走っていては将来の発展は無い。バスや車に邪魔されず気持ち良くお客さんに歩いてもらわなければ賑わいは廃れていく」と言っていました。当時商店街でお店をされていた市会議員さんがおられ、商店街の皆さんが相談されていましたね。
——私もそのお話は銀座通りの古老にお聞きした事があります。「大池小学校の前の道が整備された広くなったので、バスは大池小学校前の道を走るようにして欲しいと市にお願いしたところ、市は『国道176号との交差点がT字型のままでは、バスはスムーズ走れないので、大池小学校前の道を伸ばして駅まで繋げる。それまで待って欲しい。』との答えがあった。そのため長い間、道路になる予定の箇所は、硬い建物が建たなかった」と仰っていました。
——辻さんは家業を継がれたのはいつ頃ですか
辻氏:大学を卒業して、5年間は会社勤めでしたから、昭和44年(1969年)頃だと思います。
——その頃のお店の周りの様子どうだったのでしょうか。
辻氏:当時の銀座通りは歩く人でいっぱいで、阪急市場も買い物客で溢れていました。市場の前には入り口を挟んで、帽子屋さん、履物屋さん、荒物屋さん、本屋さんなどたくさんお店が並んでいました。私の店は阪急市場の南角の道(看景寺に至る道)を入った3軒目ですが、角からケーキ屋、文具店(現;まちづくり会社)、饅頭屋、電器店など、お店やお医者さんが並んでいました。古道具屋さんもありました。
——今はかなり違った通りになりましたね。
辻氏:阪急市場がチェリオビルに建て替わり、私の店の並びも大きく変わりました。最近は飲食店に替わったお店が増えました。時代に併せて並ぶ店も変わってきますが、住民が増えたせいか、歩く人は以前より多くなったようです。これからも人がたくさん歩いてくれる通りになればと思っています。
——今日はありがとうございました。

プロフィール/辻 和男氏:昭和14年生まれ ツジヤ時計店店主


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