【まちなかの散歩:80】大阪市が無くなる!(2015年4月)

大阪市がなくなる」。3月6日に開催された「豊中まちづくりフォーラム・プレミアム」の会場での発言である。「大阪市だけの問題、他人事ではない。この流れでは、次は大阪府内の豊中市がなくなる」との声も続く。権限を与えられた「大阪都」議会と豊中市議会が賛成すれば、“住民の声”として「大阪都豊中区」になるのだという。
 「そんな話に金と時間を使うくらいなら、孫におもちゃを買ってやるほうがましや」と年配の女性に悪態をつかれ、気落ちしながらも、”まちづくりは解ろうとする人から順番に輪を拡げるのが鉄則“であり、今は「議論の場が重要」と言い聞かせて開催してみれば、会場は市内外から集まった方々で超満員。
 多くの住民投票では、「投票率が低ければ結果を知りたくも開票しない」というルールが設けられるが、今回の「大阪都」移行の賛否を問う住民投票は、通常選挙と同じく投票率の最低基準がない。つまり、投票率がどんなに低くても、投票の過半数で賛否が決まるということであり、「大阪都」になることに賛成の票を入れた人が一人でも多ければ「大阪都」になるという。「憲法改正の国民投票の実験」として位置づけられ注目されていると言われる理由は、憲法改正も、国会の衆議院・参議院それぞれの議員の2/3の以上の賛成を得た上で、国民の投票数の過半数の賛成で成立するからである。
最近の選挙の豊中市内の投票率を見ると、昨年12月の衆議院議員選挙で54.9%。昨年春の市長が無投票で市議会議員の補欠選挙のみとなったときが16.46%。前回2011年の通常の市議選で39.3%である。市長選挙に至っては、長年30%台で推移してきているが、2002年には26.6%という最悪の記録も残している。こんな低調な投票率になったときでも、獲得票が多いほうに決定するとは、「多数決で決める」という民主主義原理の浅い理解ではないだろうか。
 また、一旦「大阪都」になったら、「これは『まちを治める仕組み』として間違ったな」と後悔しても、元に戻れない。法律の規定に移行の定めはあるが、戻す定めがないからという。憲法改正に必要な手続きを定めた国民投票法にも投票率の最低限の規定がない。憲法に定めがないのに上乗せ出来ないからだという。どちらもそれで本当に良いのだろうか?「多数決で決す」だけが「民主主義」として採用されているが、住民が「間違えた」と再考すれば戻せる仕組みを用意する、熟議を重ねて投票率を上げる努力をする、それが「民主主義」ではないだろうか? 
 4月は市議会議員・府議会議員の4年に一度の選挙の月である。身近で市民の日常を熟知し、環境・医療・福祉・健康・子育て等の市民生活を守ってくれる制度を充実させ、市民・国民のみんなの財産(社会的共通資本)を強者の個人財産とする方向を避け、徹底した行革やコスト削減などで住民参加型の政治をめざしてくれないかなぁ。そして、5月は「大阪都」への住民投票が控えている。
 いずれにしても、十分な情報と熟議の期間を経て民意を問うという過程が必要ではないだろうか。
「住民を参加させた」といいながらも、“情報なくして参加なし”である。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.148に掲載)


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