【北朝鮮逃避行:23】「北朝鮮逃避行」を書き終わって(2017年12月)

太平洋戦争が終わって70余年、今なお、戦争の、特に人の心に傷は深く深く刻み込まれていること、その体験は語り、発信していかなければ、と、改めて痛感しています。
私、この度、思いがけなく「北朝鮮から引き揚げてきた時のことを書いてみないか」と勧めていただいて、当時の記憶のないことを気にしていた私は、まず、二人の兄に話を聞き、書きとめることからしてみました。
ところが、書きあがったものを読み返したとき、突然、胸の奥からこみあげてくるものがあり、号泣してしまう私に、私自身がびっくりし、その後も、ちょっと、そのような縁に触れると、涙があふれることが度々あります。
“今まで、記憶を消すことで、やっと、生き延びるということをえらんできた、今、その怖さや辛さを受け入れ、消化しようとするこころの作業をしている”とのアドバイスをもらって、“よく固まる”“混乱する私”をも受け入れようとする自分の気持ちに気づきました。
戦争による被害は、物、身体だけでなく、“こころをも、ずたずたにし、人間として当然持っているはずの感情までも抹殺するのだ”と改めて思い知らされ、今の世界を見るとき、こころが凍り付きます。物は復興し、身体も治療できますが、“こころの復興の難しさ、大切さ”を今、つくづく感じています。
何十年の間、こころの奥深くに沈めていたものをもう一度再体験することで、私の感情を認め、栄養にして持っておけるようになったことをとてもうれしく思っています。
また、知人が「見知らぬ人が読ましてもらっているよ、と言ってくれて、仲良くなった」とか、「同じような体験を持つ人がいて、声をかけてくれたよ」とか聞くと、書いてよかったと嬉しくなります。
東日本大震災で特に原発事故では、家は建つけど、「こころの復興は終わっていない、忘れないで!」という叫びをしっかりと受け止めたいと思います。
「書いてみないか」と私の心に触れる声かけをしてくださった芦田先生、また、イラスト等色々お心遣いしてくださったスタッフの皆様に、そして、読んでくださった皆様に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。

朝倉やさ子


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