【北朝鮮逃避行:16】(2017年9月)

船で逃げた人も、ここで捕まりました。日本人会の世話人は順川に連れ戻されました。翌日は雨になり雨宿りが出来なくて大変でした。ここで、一晩か二晩止められましたが、空き家になった旭硝子の社宅一帯は朝鮮人に荒らされていて、戻ってもどうする事も出来ないと判断した朝鮮の保安官(警察官)が、引き止める事をあきらめて私たちを放免したのです。
それでも、自分たちがいた順川は38度線に近かったので助かりました。途中で、服はボロボロで杖をついて、ふらふら歩くグループに出逢いました。「あなた達は何処から来たのですか?」と聞いたら「しんぎしゅう(新義州:国境の大きな町)」と言いました。本当に満州と朝鮮の国境のところで、そこから歩いて来たとのこと。北朝鮮の町だけど、本当に国境に近いところで、乞食同然で栄養失期で足も腫れていて、自分たちでも気の毒やと思いました。
自分たちが歩いていると、通る村々が「関所」となって荷物を開けさせて、めぼしいものを取っていきました。そんな時、三郎の着ていた着物を取られそうになったとき、「これだけは、こらえてくれ」と言って母は泣いて頼みました。「死んだ息子の形見だから」と。それは叶えてもらえました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.203に掲載)


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