【北朝鮮逃避行:12】(2017年7月)

紙の上にたばこを置いて、鉛筆ぐらいの棒を芯にして、くるくる巻いたら直ぐできるのです。おじいさんはそれを並べて積んで置いておくので、長兄は友達3~4人とで夜に盗んで吸っていました。見つかってすごく怒られました。次兄はたばこ作りを手伝っていました。
まき作りは長兄たち、子供の仕事でした。鋸は両方から引っ張り合いをするものでした。斧で割っていたのかな?まきになる木は、社宅から見える川、大同江を筏を組んで川上から下ってくるその筏を買って、これでまきを作っていました。1本直径30センチほどある丸太が何本か組んでありました。
「日本人会」の事務所は社宅の二部屋でした。清津組は、そこから援助してもらっていました。小学生以下を除いてみんな働いていましたが、そこから援助もしてもらっていました。
そんな中で、38度線を逃げて越える時は、何日も歩かなければならないため、食べる物を用意しておかないといけないというので、ご飯を天日で乾かして準備を始めようとしていました。これが日本人会にばれて援助してもらっていた日本人会から父はものすごく怒られましたし、接助を断られたこともありました。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.199に掲載)


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