【隠居の繰り言:6】民は由らしむべし、知らしむべからず−情報の質と多角性−(2020年7月)

隠居生活をしていると、世間の事情を知る手段がテレビくらいに限られてくる。なのに、ニュース報道が全く面白くない。全く画一的だ。今更のことではあるけれど、繰り言を言いたくなる。

安倍元総理が凶弾に倒れた。冥福を祈るとともに、テロリズムの蔓延を憂う。
この大前提の上で敢えて言いたい。
外交、政治、経済など全て(スキャンダルも含めて)について、“全面賛美”一色の画一的な報道に、違和感以上のものを感じるのだ。様々な意味で日本が行き詰まっている中で、まして、参院選挙の最終盤だ。日本全体が“思考停止”して良いのか。マスメディアだけでなく、野党も陥っている。外国から弔意と高い評価が寄せられたことについても、各国のしたたかな思惑を考えさせる報道を見ない。
国葬となれば、この傾向はますます増幅されるのだろう。
死を悼むことと、政治的業績を冷静に分析することとは矛盾しない。存在が大きかった政治家の死は、それだけ余計に、日本の在り方を考える機とすることが、政治的立場の如何にかかわりなく、残された者の礼儀ではないか。
銃撃が犯人の個人的恨みであるとしても、問題の宗教団体は、日本進出に当たって岸信介の役割が大きく、日本の政界と深い関係があると言われている。昔アメリカに行った時、同団体のトップが、アメリカ大統領選挙の当選記念写真に、巨額献金者として大統領の傍らに写っていることが話題になっていた。銃使用、警備の問題だけでなく、多角的な視点から検証、議論して欲しいものだ。

ウクライナ問題の報道についても思う。
軍事侵攻という手段が擁護される余地はない。戦争でしわ寄せを受けるのは、常に民だ。
しかし、全てのチャンネルが同じ爆撃場面を延々と繰り返して映し続けること“だけ”が戦争報道の在り方なのだろうか。
被災者が気の毒ということに留まらず、発生に至る歴史を冷静に見なければ、戦争は理解できない。現に、世界では、欧米、中東、アジア、アフリカなどの各国は、それぞれ自国の利益を考慮した異なる対応をしている。画一的報道は、国際社会で日本の地位を危うくする思考に繋がるだろう。エネルギー問題に限らず、国際政治経済は今後大きく転換していくのは間違いない。戦争を材料に株価を上げている企業もある。そんなことを多面的に考える材料が欲しい。

多角的な視点で、様々な側面、害関係などの情報が市民に示されることが、政策決定の大前提だ。
“身を切る改革”が叫ばれている。だが、「何を無駄」とし「誰の身」を「どこ」を「どのように」「どの程度」切るのかによって、全く異なる結果がもたらされる。
議員の歳費削減については、「歳費は貧乏人でも議員になれることを保証するもの」という側面を忘れてはならない。「議員歳費はムダ金で、少なければ少ない方が良い」の一点のみを基準にすると、金持ちかその代弁者しか議員になれなくなる。昔の高額納税者だけに選挙権、被選挙権があったのと事実上同じだ。
議員定数にしても、少なくすればするほど、多様な意見が反映され難くなり、それぞれの地域、多彩な社会、少数意見、の代表という議会の機能が失われる。行きつく先は、庶民が全く顧みられない政治へすすむ道だ。
現実は問題が山積だ。しかし、ワンフレーズ・キャッチコピーに眩まされて、妬みを掻き立て、税金が安くなるかのような幻想を持って、“切れば切るほど”と切りまくることだけが正しいのか、を冷静に考えたいものだ。
何を目的としているのか、実際に何が起こるのか、情報がなければ庶民は判断できない。広く目に見える形で示されることが不可欠だ。

税の無駄ということについて、もう一つ。
少し前、税金や市役所がないというアメリカのまちが話題になった。
その“まち”は、通常考える公務員や警察などを持たず、税を不要とする。街の整備や水道などは民間会社に委託し、治安は警備会社のガードマンが行う。面倒な議論をする議員もいない。自己負担が可能な高額所得者だけが塀に囲まれて住む、城塞都市という。
中低所得者は自己負担の能力がないので、そもそも住人にはなれない。従って、福祉や公的医療などの必要は無く、犯罪も少ない。このような“無駄”が無いので、高額所得者にとって、税を払う場合よりはるかに少ない負担で済む、快適なまちだという。
“税負担は少なければ少ない程良い”という思想の行き着く先のまちの一つ姿だろう。
ごく一部の高額所得者は、仲間内だけで閉鎖したまちを創ることも出来るかもしれない。しかし、9割以上の普通の人は普通のまちにしか住めない。税は、そのための共同経費、所得の再配分のための必要経費なのだ。高所得者に高額納税してもらうことも必要だ。問題は、「どれだけの額」が「何のため」に「どのように使われるか」である。
“効率的に税を使う”ということと“安ければ安い程良い”というのは次元の異なる話なのだ。ここでも、ワンフレーズ・キャッチコピーが、大手を振っている。

批判しかできないと揶揄されて、野党は政策提言を競った。しかし、“問題点を指摘、批判することすら出来ない”ことに陥っていないか。ここでは、「問題点が明確になれば、半ば解決したのも同じだ」ということが、故意に隠されている。

多様な議論が理性的に行われる社会であって欲しい。他国の情報の独占、統制、フェイクを笑っている場合ではないだろう。
「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」。洋の東西を問わず、権力についた者は誘惑される。


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