【まちなかの散歩:24】終わりではなく、始まり・はじまり(2010年8月)

 政治家達の熾烈な闘いを国民が覚めた目、迷った心で臨んだ7月の選挙が終った。果たして、この結果をどう見るか。ここでは、政治権力を握った政治家達には、いち早く国政を安定させ、地域社会を建て直し、市民が今の生活のレベルを高められるように格段の努力をしてくれることを期待しておきたい。
 英語を習いはじめた頃、1月をJAnuary、2月をFebruaryとし、MArch、April・・・と続いて、10月をOctoberと覚える時、「本来は、”oct”(8本・タコ:蛍池に”アシハポン”という看板を掲げるホテルがあるが由来は不明である)で8月なのに、英雄Julius Caesar(ジュリアス・シーザー)とその後継者で初代ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)が、それぞれに我が名を月名に入れろと”July”、”August”を無理やり入れ込んだため月の呼称に整合性がなくなっている」とのエピソードを教えられたことがある。今となって詳しく調べるとその正確さにいささか疑問が残るが、数字と月との関連は分かり易い。
 我々は、多数を占めて合法的に権力の座を占めても、道に背き、道理に反して、その権力・権限を行使し、横暴を極めていくことを歴史で学んだ。民主主義の物事の決め方の一形態として「多数決」があるが、相手の意見を良く聞き入れることで己の意見を修正する「熟慮」し、翻意する民主主義本来のプロセス・過程があるはずである。
 多数を獲得した者は少数者を思いやり、権力・権威を持つに至った者は、それぞれの権力・権威の使い方を慎重にし、権力を持たない者への配慮を忘れてはならない。勿論、権利の上にあぐらをかき、その権利を行使しない者も同様の「役割への認識」は必要である。
 日差しを木漏れ日としても細やかに注ぎ、窪地にも隈なく水を蓄えるように、細やかな心配りが国を栄えさせ、豊かで安心・安全・快適な都市・地域社会を形成していくのだろう。
 選挙の終りが、我々の役割の始まりである。公約にないことを突如、主張する政治家、平然と違約する政治家。この間のあの政治家の発言が選挙前に公表されていたら、高い支持率を得たのだろうかと冷静になって振り返るだけでは、選挙で全てが終わるという政治家の意識を我々市民も認めてしまうだけである。
 参議院議員選挙は終わったが、統一地方選挙もそう遠くはない。我々の生活を左右する政治への関与は、終わりでなく、始まり、はじまり!

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.40に掲載)


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