【まちなかの散歩:27】旅に出て(2010年11月)

【まちなかの散歩:27】旅に出て(2010年11月)
 神無月を目前にした9月の末、出雲の国ならぬ広島・山口に格安パックで旅をした。
 広島/安芸の宮島(厳島神社)、岩国/錦帯橋、山口/萩、秋吉台(秋芳洞)、津和野。
 既に、学生時代、あるいは、仕事での旅の途中で昔に足を運んでいた所もあるが、そこも改めてガイドのある旅の良さを味わおうと思い立った。とりわけ、若い頃からの念願のまち歩きであった土塀と掘割のイメージをもつ「萩・津和野の旅」の謳い文句に惹かれて新大阪に向かった。平日の早朝に何組もの旅行社の旗の下に集まる高齢者の群れ、群れ、群れ。みなぎるパワーである。
 原爆ドーム・平和公園にバスの車窓から手を合わせ、厳島神社を経て、岩国・錦帯橋を渡る。40年も前に訪ねた時の記憶が、かすかによみがえるが、我がまちを愛して自ら役を買って出ているというボランティアガイドに、橋の建設・改築由来を教えてもらう。その技術の継承の難しさは過日のこの橋の改修を報じるTVで知っていたが、大規模プロジェクトの技術継承は、伊勢神宮遷宮を持ち出すまでもなく大きな課題であり、紀淡海峡への架橋を主張する識者の考え方は、必ずしも「土建国家」の「政・官・業」の癒着として簡単に切捨てできないではないかと飛躍して考えてしまう旅の空である。
 秋の水落としで有名な熊本県矢部町の「通潤橋」に、技術・システムの工夫と他地区村民の窮状を救おうとする地域住民の財力・労力を提供する「公共」への合意形成、リーダーのまちへの思い、構想力、覚悟をまちづくりの原点と見ている筆者であるが、人・物・情報を架ける橋には、実に含蓄ある歴史がある。

 宿の夕食時に席を同じくした人生の大先輩が86歳で、82歳の伴侶と同行されていた。聞けば、昨年、エジプトに出かけられたとか。「どこで死んでも良いんです。息子も今年定年で、名古屋に再就職しております」。ニコニコしながら語られた、その言葉に人生をしっかりと生きて来られた深い味わいを感じた。「お早うございます。昨夜はどうも」翌日のお二人の旅装は旅なれたものであった。
 小京都。松下村塾とともに幕末の長州藩の多くの改革の志士を輩出した藩校・明倫館に、今日の失われた教育の原点をみる。また、武家屋敷群の道を隔てた海辺に立つ拉致への警告看板をこの国を憂いた志士達はどう見ているのだろうか?
町並みからも人生の先輩からも多くを学べることを知った旅であった。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.46に掲載)


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