【まちなかの散歩:98】広島カープの優勝に思う(2016年10月)
本紙をカラー版にして9月上旬号・中旬号と1カ月が過ぎました。広告掲載料を上げて各スポンサーにはご負担をお掛けしておりますが、おかげ様で(多少のお世辞も含めてでしょうが)「奇麗なぁ」、「明るいなぁ」「見やすいなぁ」と総じて好評を頂いております。有難いことです。とはいえ、「中身が変わり映えしないなぁ」との自省はしております。
さて前号で、台風が来ないと書いた途端に、近畿は免れているものの、これまでに例のない直撃台風が東北や北海道に続々と上陸してきて気の毒に思うとともに見通しの悪さに恐れ入っている。凛々しい小池百合子台風も東京都で暴れているが、大阪政変や阪神大震災をこれまで余所事のように見てきた江戸っ子の気分を今味わっている感がする。
そんな東京の地・東京ドームで、雌伏25年、1991年以来のリーグ優勝をしたのが広島東洋カープである。1991年(平成3年)というと、東京都庁が新宿に移転し、雲仙普賢岳で大火砕流が発生し“土石流”なる言葉とその空恐ろしさを覚えている。また東京にジュリアナ東京がオープンし、梅田にも同様の施設が出来て若者が踊り狂った。更に宮澤内閣が発足しており、過日亡くなった横綱・千代の富士が現役引退、今話題のSMAPがデビューした年でもある。
今年から、にわかカープファンになって調べてみると“広島カープ”は原爆で焼け落ちた広島城の“鯉城”に因んでおり、原爆の惨禍からの復興を目指そうと誕生し広島市の経済の牽引車となったとか。発足当時、選手に支払う給料が遅配して2軍選手に至っては給料が支払われたのは4月のみで支払いが滞っていた2軍選手全員を汽車賃だけ渡して郷里に帰らせていたが、既にカープ後援会は1万3千人に達しており、年末までに400万円(当時)を集めている(Wikipedia)。有名な感動の“樽募金”である。その後、軍事産業から民生用トラックなどの生産へと転換したマツダが支えながら球団経営に積極的な関与をせずに”市民球団“として存立しているという。〝思いは高く地位低く、手間暇かけて儲け下手、社会の隅で一隅を照らす”活動を営々と続ける零細のまちづくり会社に関わっている者として、とても羨ましく、とても嬉しい。
過日の101回の豊中まちづくりフォーラムには「100回で満足せずに200回、300回と継続して下さい」と全国から沢山の励ましのメッセージが送られてきたが、地域貢献として会場を貸して下さってきた北おおさか信用金庫(豊信)の都合で借りられなくなる危機に瀕している。芸術文化センターという“一点豪華主義”の施設も市民を意気軒昂とさせる意味でも必要なことは解るが、町なかで安くて手軽に利用し易い施設がもっとないものだろうか。近年、幼い孫に自転車の乗り方を教えてやりたくても、そんな場所がない。地域での細やかな市民の暮らしや活動を支える仕組み・施設の必要性はますます高まっている。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.182に掲載)
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