【まちなかの散歩:30】忘却とは、忘れ去ることなり(2011年2月)
卯年になって一か月が過ぎた。2月は去るように早く過ぎるというが、今年も閏年ではないので28日までしかなく、財布の中身同様に、脱兎の如く去っていくのだろうか?
とはいえ、忘れてならないことは、あの1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災のことである。中学生以下の子どもには経験がなく、それ以上の大人の間にも風化現象が生じているのは残念であるが、改めて災害に備えておきたい。
災害を防ぐためには色々と工夫がされるが、その昔、防火の工夫の一つとして造られたのが、「卯建つ」(「梲」が本来の文字であるらしい)である。元々は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいったが、その後、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階の屋根と2階の屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。うだつを上げるためには、金がかかることから、これを建築できる家は裕福で、それが出来ない家は「うだつが上がらない」といわれるようになったといわれる。防災面だけでなく景観としても評価が高く徳島県美馬市の「脇町の町並み」が有名である。
兎といえば、童謡“待ちぼうけ”がある。
♪待ちぼうけ、待ちぼうけ、ある日せっせと野良稼ぎ。そこに兔が飛んで出て、ころりころげた木のねっこ。
♪待ちぼうけ、待ちぼうけ、しめた、これから寝て待とうか。待てば獲物が驅けてくる、兔ぶつかれ、木のねっこ。・・・
♪明日は明日はで森のそと、兔待ち待ち、木のねっこ。
♪待ちぼうけ、待ちぼうけ、もとは涼しい黍(きび)畑。いまは荒野の箒草、寒い北風、木のねっこ
元々は、中国・宗の農夫が、兎が偶然に田んぼの側の切り株にぶつかって死んだのに味をしめ、それ以後は野良仕事をやめ、ひたすら兎がぶつかるのを待っていたため、田を荒らしてしまったという話で、「守株」といえば、進歩がないとか、頑固で臨機応変に対応できないという意味であり、我々が教えられた“偶然を期待せずにコツコツと働け”という意味はなかったとか。
忘れてはならないことを忘れてしまうこともあり、もともとの意味・意義が変えられることも少なくないが、生活の各場面では、意識的に忘れさせられたり、意識を歪められることのないように、気をつけておかねばならないと考える今日この頃である。
今春は、統一地方選挙の年でもある。この4年間、彼等はどのように働いてくれたのだろうか? 忘れてはならない重要なことの一つである。兎の「相棒」の亀は、今回は「甲羅、面白かったなぁ」と言ってくれるだろうか?
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.51に掲載)
※まちなかの散歩のバックナンバーはこちらをご覧ください。