【まちなかの散歩:44】まちの春・秋(2012年4月)

 春、4月。東北の春は遅い。震災前は、のどかに口ずさんだ千昌夫の『北国の春』の♪こぶし咲くあの北国の春、・・・あの故郷に帰ろかな~、帰ろうかな~♪も、すっかりその持つ意味を変えてしまった。行き場を失っている被災物(ガレキ)も更に重く圧しかかっている。首相が「収束宣言」をしてしまってからも事故を繰り返す状況に、受け入れ先の市民は不信感を募らせるばかりであるが、少なくとも宮城・岩手の被災物は受け入れるだけの地理的科学的知識は学校教育で得てきているはずであり、メディアも今度こそ正確に事実を伝えて「分かち合い」の支えとなりたいものである。

 そして、今年も多くの大学生・高校生が卒業とともに東京に向かう。デフレでも人口が増えている東京である。現時点では大阪府の人口も微増であるが、今、大きな政策課題である生活保護、教育レベルの低さも、『デフレの正体』を引用せずとも、この人口減から来る大阪の経済力の低下である。日本の人口が2006年の1億2774万人をピークとして、2100年には6414万人まで減少する。今後100年間でほぼ半減するという。人口が半減するのだから建物の半分が使われなくなる。“まちづくりの3要素”である、仕組み(しくみ)、仕事(しごと)、施設(しせつ)の3つの“し”のうち、鉄道・道路、などの「施設」も利用者が減ってくる。現に阪急電車の混雑ぶりも駅前の車の交通量もずいぶんと緩和された。そして、今もポスティング(チラシの投げ込み)を経験すると分かるのだが、空室が多い古いアパートが目立つ。一人っ子同士の結婚で、親の残した家は不要となり処分するケースも珍しくなくなるだろう。

 こうした人口減の大きな流れの中で、その潮流に逆らって、豊中駅前は今や、マンション・ラッシュである。新開地ビルの完成が昭和43年。それから50年を経た今の状況である。スーパー・ライフ創業店が改装されたが、住民も熟成した駅前のこれから50年後。この駅前はどう変化しているのか?千里ニュータウンが誕生して50年。老朽化が目立って生活者にとって不可欠な買物・サービスといった利便施設を伴わない住居限定のマンションに更新されていく。『都市は人間がつくり、田園は神がつくり賜うた』といわれて人間の叡智を讃える言葉にもなっているが、「都市を投機の対象にしない」ことが、その叡智を発揮してきた人間の力でもある。滋養食品として有名な高麗人参は、土地の養分を吸い上げて成長し、高価な製品として地元以外の人に売られていく。残された土地は数年間も作物が作れない更に貧しい土地になるという。
 春を過ぎ収穫期を迎えた生活者にとっても、まちが“楽しく過ごせる場所”としてあり続けるためにも次々と作られるマンションが入居者は勿論、地域住民に長く愛される建物になってもらいたいものである。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.78に掲載)


※まちなかの散歩のバックナンバーはこちらをご覧ください。