【まちなかの散歩:23】梅雨明け(2010年7月)
このニュースが配布される頃は、梅雨が明けて、真夏の暑さを感じる7月である。
千里川をウォーキングしていると、かつての河川の蛇行が改修された跡を見ることがあり、昭和42年7月の集中豪雨の恐怖を伴うすごさを思い出させる。「梅雨末期などに大雨の降る時の天気図を調べてみると、本州沿いの前線の南側に水蒸気を多量に含んだ気流が舌状に流入している場合が多い。これを“温活(しつぜつ)”という。」とあるように、この時の激しい雨は、大阪万博開催前で未だ都市基盤が整わず、蛇行し整備されない川の濁流は堤防を激しく揺り動かし、堤防近くの住宅の土台を削り取り、何軒もの住宅を流れに巻き込んで大きな傷跡を残していった。
まちづくりの基本は、“生命の安全確保”“心身の健康確保”“生活の安心・快適の確保”であり、これらの確保のための“仕組み”“仕事”“施設”を整えることである。
とりわけ、子ども、女性、高齢者、病人、障がい者などの支援を必要とする者に配慮することである。
今月下旬には、我が家は、またも孫達の合宿所と化し、鬼寮長ならぬ仏の爺ちゃんは、日帰り旅行の添乗員も要請されて、マゴマゴしながら忙しくなる。
お婆ちゃんの顔をチラッと見ながらも、我が物顔に我が家の冷蔵庫を開け、用意されている好物を取り出す。“休み来て、扉を開ける孫の顔”である。
さて、“毎日が日曜日”の上に、孫達と夏休みを謳歌する私とは全く違う境遇にいるのが今月の政治家である。総理大臣が交代して1ヶ月になる政治。7月11日、豊中駅前の“七夕祭り”に合わせて参議院選挙が行なわれる。“羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く”のか、“過ちて改めざる、これを過ちという”なのか、国の姿は、国民の自画像であり、都市は、そこに住む我々にとっては、長い時間をかけた集団的『自画像としての都市』であり、まちを我がことのように考え、他人に任せるわけにはいかない。
“温活”に対して、まちに災いをもたらさないように備えるように、政治の世界で“2枚舌”を使わせないためにも、国政・都市を問わず、権力を行使する政治・政治家をしっかりと見極め、選択し、その後も監視することが、安全・安心・快適の基本である。
次号のコラムを書く頃は、休み中に撮った写真を食事中に眺めながら、“休み去り、扉を占める孫の顔”となっていることだろう。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.38に掲載)
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