【豊中駅前の歴史:8】刀根山道の今・昔(6)昭和40年代から現代を振り返る(2009年10月)
このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました
今回は、現在の賑やかな一番街が形成される過程を辿ります。お話を聞かせて頂いたのは、先祖代々住まれ、生まれも育ちも本町3丁目の白井さんと土橋さんです。
——前号では、30年代の一番街は今ほどお店が並んでいるような通りではなかったとお伺いしましたが。今のように沢山のビルが建ち、賑やかな通りになって行く経過を教えてください。
【白井】私たちが子供頃は、家から大阪の方まで見通せましたね。周りに高い建物なんか一つもなかった。
【土橋】一番街で始めに建ったビルは確か松浦さんの所だったと思いますが、昭和42年にホテルアイボリー、翌年に新開地ビルが建ち、その翌年駅前に人工広場が完成しました。その頃から平成に元号が変わるまでの約20年の間に今のような一番街が出来たと言って良いのかと思います。
【白井】豊中本町ビルが建ったのは確か昭和55年だったと記憶しています。今までに無かった大きなビルで、1階には楽器店がある洒落た建物ができた事は周りに大きな影響というか刺激を与えたと思いますね。隣の大屋さんのビルが今年で30年になると聞いていますので昭和59年に建っていますね。
向かいのルミエールが建ったのは少し後ですが、1階には西武百貨店のアンテナショップがあり、みんな注目していました。
——その頃にほぼ今の一番街が出来たのでしょうか。
【土橋】そうですね。でも一番街がより賑やかになるのは、駅前のボゼムビルとジオ1300の完成です。豊中駅前のシンボルマークとしてのボゼムビルは一番街のゲートとしても素晴らしいものです。そしてジオ1300は温泉を利用したスポーツクラブとしては当時稀で、遠くから新たなお客さんを呼んでくれました。またこの2つの開発により、駅前で商売していた沢山のお店が一番街に移ってきました。これにより今の一番街が出来たと言えるのではないでしょうか。
【白井】七夕まつりが始まったのもこの頃です。一番街が始めた駅前のお祭です。その頃は夕方から始めていました。物凄い人の数で圧倒されましたね。今年で30年目を迎えましたが、これからも頑張って続けて行きたいですね。
——今日は有り難う御座いました。
次回お土橋さんに手伝って頂き、どなたかに千里川の方のお話をお伺いしたいと思います。
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