【まちなかの散歩:14】町にも段差のない社会(2009年10月)
豊中駅前から北に伸びる刀根山道に、歩道代わりにと歩行者と車を区切る白線が引かれた。よく見ると運転手、歩行者ともに確かに白線を意識していることが分かる。ささやかな試みではあるが、取りあえず人の安全が意識されてきたのかとホッとする。本格的な歩道が出来れば、さらに安全度が高まるはずだが、そこは簡単には行かないらしい。歩道を車道から高くしておかないと歩行者は安全でないとなると車道から歩道を越えて奥に行くための“切り込み”が必要になり、歩道が凸凹して歩行者も車椅子も通りにくい。なかなか難しいもので、歩道を車道と同じ高さに下げるという方法を採っているところも見かけるが、それでは現在の商店の入り口との高さが合わないから段差が出来てしまう。工事経費だけの問題ではなく、道の使い方についての合意という面倒な問題があるという。
最近、障害者(「障“ガイ”者」と表現するとも聞くが)問題の話を聞く機会があった。席上、持っている才能と肉体的なハンディから見た社会的評価には大きな隔たりがあるとの指摘があったが、そうした理解が広く得られ難い間は、市場の原理には任せ切りできず、現場の状況をしっかりと踏まえた練り上げられた政策として雇用への誘導をはかる工夫が必要なのであろう。(まちづくり会社が主催している「アイボリー寄席」でも、車椅子で何度も電車を乗り換え大阪市内での寄席会場に出かける億劫さを考え、出かけやすい豊中駅前でストレスを発散してもらうというささやかな試みを心がけている。)
話は変るが、「もう一つのルーキーズ・離島甲子園にかける夏」という題名で8月にTV放映されたが、「離島甲子園」という国土交通大臣杯をかけた全国離島交流中学校野球大会がある。北は礼文島から屋久島、八丈島までの16チーム。大会の提唱者は、元ロッテオリオンズのエース「村田兆冶」氏。全国の離島の青少年に夢と希望を捧げたい、との一心で20年に亘って全国の離島を野球指導に回っておられていることは有名であるが、今夏は隠岐を大会会場とし、ゲストとして村田氏率いる「まさかりマリーンズ」のメンバー(福本豊、北別府学、藤田平、屋鋪要、橋本清、田野倉利夫等々往年の名選手)が訪問し、地元との交流試合、学童の少年野球教室等を開催している。
やらないための理屈づくり(理論武装?)に繰り返される調整会議。ややこしい課題を内包する箇所を敬遠・後回し・削除することで課題解決の策を掘り下げない、臭いものに蓋をする、そんな考え方が蔓延する社会から決別する「町にも心にも段差のない社会」をつくり上げていくためには、幾つもの側面からの接近方法がある。政治・行政からの側面。ボランティアからの側面、・・・。いずれも当事者として、意見がぶつかること、多少の意見の衝突を恐れないで、その仕組み・仕事・施設を考えていく覚悟と実践がなければ、地域社会の改善は進まない。『隠岐島コミューン伝説』の島で『もう一つの明治維新』として後世に評価される“島の自治”を担おうとしたのは、19年間わが身の不遇を嘆き・悲しんで没した後鳥羽上皇でもなければ、島民を手引きとして島を脱出し都に戻った後醍醐天皇でもなく、島に生まれ育った愛郷心に溢れる島民達であったという。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.21に掲載)
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