【まちなかの散歩:17】“市民によるまちづくり”は、捕ら(寅)ぬ狸の皮算用か?(2010年1月)

 あけましておめでとうございます。昨年は色々と皆様にお世話になりました。今年も、精一杯に努めますので、よろしくお願いいたします。
 いよいよ、寅年の平成22年、西暦2010年です。タイガースの優勝が期待できるという向きもあるでしょうが、1999年12月21日設立の(有)豊中駅前まちづくり会社も10年を超えました。この1999年の年末は、‘99’から‘00’へのコンピュータの年号・記号の移行でコンピュータが誤作動する「2000年問題」として大騒ぎをした時でした。そんな時に誕生し、10年を経過しました。昔は、10年一昔。今では“ドッグ・イヤー”とか、“失われた10年”とか言われる、その“10年”です。
 暮の号にも書きましたが、現在、まちづくり会社は、「まちづくりニュース」の発行、アイボリーフォーラム・アイボリー寄席・新免館寄席の開催、レンタル・スペース、名刺・文書の印刷、研修会などを手がけています。詳しくは、「(有)豊中駅前まちづくり会社」のHPを検索してください。

 過日、「明石まちづくり研究所」20周年のお祝い会に出席してきました。明石近隣の市長・町長が「市民主体のまちづくりと行政の役割」の討論に参加していました。井戸兵庫県知事が、「これからは、行政への参画(行政頼み)から、地域での活動への参画の時代(仲間頼み)に移ることが重要」と語り、「課題の共有は情報の共有であり、課題の設定が出来れば情報公開は容易に出来ることが多い。情報公開は課題解決のためにあるのだから、それに役立てねばならない」とも。主催者は、「80年代から頑張った行政があったが、市民の力が育っていないと市民主体のまちづくりは進まない。行政に力がないと市民が力をつけて行政を動かそうとするが、行政が動かないということが言える」と。しかし、「市民」がNPOや協同組合、会社など多様な仕組みを使いこなし、「行政」も計画、自治体学、経営など多様な政策・手段に挑戦する首長、職員が登場してきて、単純な「市民-行政」ではまちづくりが語れなくなっている。
 私は、首長自身の自慢話ではなく、市民と密接に接し(?)、首にならずに組織に生き延び、る「まちづくりのに素人であるの市民の言うことなんか信用できるか!」と切って捨てる職員を、リーダーとして、どう指導・教育するかに大いなる関心を持っていたのだが・・・。「市民と行政によるまちづくり」とは、「市民と行政が連携し、当初はお互いが不完全であることを認め合い、活動を共にする中で成長することを約束し、それぞれの組織を、活動にふさわしいように訓練・変革を重ねながら成長させし、“生活と仕事の共通の場”である“まち”に、仕組み(社会計画)・仕事(産業計画・社会活動)・施設(狭義の都市計画)をつくり、育て、手入れし、守っていく活動である。」と考える私には、このまちのまちづくりの歴史と現状、行政と市民との関係を想起すると、色々と考えさせられる時間であった。化かし合いではなく、信頼関係を保ちつつ、相互に助け合うまちづくりに力が向かうことを期待しているのです。
 浪速、友あれ、今年もよろしくお願いします。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.27に掲載)


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