【豊中駅前の歴史:47】住宅地の変遷 8(2013年7月)

今号では小林一三翁が郊外住宅の開発のため発行された「山容水態」大正6年8月号からの抜粋を紹介します。貴重な資料は豊中連合自治会会長の中右さんからお借りしました。

清新の氣に充てる 〈豊中新市街地〉
豐中は梅田より約六哩(1)、電車僅に十六分、地は岡町と螢ケ池の中間に在って、能勢街道に沿う一区画、平和な氣の充ちた林野七萬坪、嘗て大グランドの存在に依って世人の視聴に新たなる新市街地である。岡町の松原つづき田の面を隔ててちくと立つ老松の叢(2)はここ南西の街角を割りて西一帯の藪たたみに連なる。この藪たたみを根占にして六甲の連山えんえん屏風の如く、東に繞(3)れる刀根、佛眼寺の丘陵はいい(4)として、春の朝秋の夕或いは淡く或いは濃く、此市街の背景と成って様々の色彩に興味を輿え、北に流るる千里川は茅萱青々と茂ってヨシギリ・クイナの宿となる。南は岡町の新旧市街に続き、やがては合して大田園都市となるのである。
比形勝の地七萬坪に果たしてどんな設備が施されるであろうか、大グランドを中心として學生の共同寄宿舎、日本生命保険会社の社宅并びに(5)浪速銀行、近江銀行、山口銀行等の寄宿舎が建設せられて、ベースボールやテニスや清新なる遊戯を試みる青年には最もふさわしい高尚なる新市街として世人の注意を引いている。一般住宅も既に七十邸宅の新築を実現したる。この趨勢を以てせば数百軒に上ることまたたくの間なるべし、而して此住宅は従来池田、櫻井両市街に鑑み、土地の広さ家の間取り等最も理想的に建築せられたものにして、価格安く又月賦払いとしても最も手頃の家と云うべき也。

【註】
(1)マイル/約1.6km
(2)くさむら
(3)めぐる
(4)斜めに行くこと
(5)ならびに

「山容水態」:大正2(1913)年には、月刊誌『山容水態』が発行された。これは、池田新市街、豊中新市街など、阪急電鉄が開発した住宅地の様子を詳しく紹介した住宅情報誌であると同時に、沿線の名所旧跡の紹介、イベント案内なども掲載され、現在のタウン情報誌としての役割も兼ね備えたものであった。 (地域創造学研究 戸田清子氏)


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