【豊中駅前の歴史:3】刀根山道の今・昔(1) 昭和初期を振り返る(2009年5月)

【豊中駅前の歴史:3】刀根山道の今・昔(1)昭和初期を振り返る(2009年5月)
今回からは数回に亘り、刀根山道について振り返ります。先ず最初にお話をお伺いしたのは、タバコ屋さんの辻本くに子さんです。本町3丁目のみなさんから「昭和の初めを語れるのはあの人しかいない」と聞き、お訪ねしました。

——今日は昭和の初め頃の刀根山道について教えて下さい。駅前の辺りは以前にも松浦さんからもお聞きしたのですが・・・
【辻本】今の一番街の入り口に「丸正」という紳士ものを売っていた店を覚えていますか?今はボゼムビルになっている所ですが。あそこに昔はカタイヤ(どんな字かは判らないが)という2階建ての大きな料理屋さんがありました。この辺りで祝い事や宴席を持つときは、みんなそこで会食をしたものです。大変立派な料亭でした。
向かい側には木村のパン屋がありました。大きなパン屋さんで銀座通り側にも面していました。沢山の人が働いていました。その中にシュークリームを作る職人さんがいて、私の家の離れで寝泊りしながら毎日シュークリームを作っていました。あの甘い美味しそうな臭いは今でも思い出します。
——その頃からお店はたくさん並んでいたのですか?
【辻本】お店が今のように並んでいるのではなく、道を挟んで家や原っぱ、田んぼもありました。道は今よりもっと狭かった。そんな中に建材店、煎餅屋、タバコ屋、あんま屋(マッサージ)などお店がある、そんな通りでした。今のとんぺいさんの辺りに魚や野菜のお店、というよりは集荷場みたいになっていて、そこから馴染みのおうちに配達していました。
昔、一本松と謂われた大きな松の木が今の川田薬局と海雲丸との間にある路地のところに立っていました。以前一本松を切った跡に石碑が立っていましたが、いつの間にか無くなってしまいました。この一本松を境に駅前の方をみなんじょ、千里川の方をきたんじょと呼んでいました。きたんじょの方は道沿いに余りお店はなく、大きなおうちが並んでいました。千里川の方に向かって、今、散髪屋さんがある辺りから道が急な下りになっていて、上の方の切り立ったところに家が立っていました。道ももっと狭かった。橋のたもと今の八百屋さんのある辺りに春になると、たけのこの市が立ちました。私も市が終わった後に空のたけのこ籠を持って帰ったりしていました。籠の中には通い(かよい)が入っていました。私が子供の頃、昭和の初めの頃ですね。
これは聞いた話ですが、法雲寺さんは今から400年ほど前に奈良からこちらに移ってきた。その時一緒に移り住んだ一つが辻本家だそうです。だからこの辺りは辻本の性の家がたくさんあるんです。他にもそのようなおうちがいくつかありますね。
——お話が昭和初期から江戸時代まで飛びましたね。今日お伺いしたお話から、刀根山道だけでなく、昔、新免といわれたこの地域一帯の歴史にも興味が湧いてきました。
今日は有り難う御座いました。


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