【まちなかの散歩:9】五月晴れ(2009年5月)

 今日の定員割れで大童(おおわらわ)の大学状況では想像もつかないほど受験戦争の激烈だった昔、その厳しい受験競争を勝ち抜き入学を果たした新入生が、その後5月の連休明けに目標を失って無気力に陥る事を指した「5月病」という言葉があった。「さつきびょう」は誤読で「ごがつびょう」と読む、と説明が要るほど大学は広き門になり、近年では「6月病」という新入社員などの不安や憂鬱症状を指す言葉も生まれているという。
 そして、今日のTVのクイズ番組ブームのお陰で、「五月蠅い」に“うるさい”とルビが打てる人は少なくないだろうが、梅雨の晴れ間や、5月の晴れわたった空を指す「五月晴れ」を眺めようとしたとき、醜く張り廻らされた電線に気づき、置き去り電柱の存在に心痛める人はどうなのだろうか?
 阪神淡路大震災から14年の町は市民の努力で建物は美しくもなったが、今も社会資本整備は遅れ、残念ながら安心・安全・美しい町とは程遠い。山形に旅した時、遠くに望めるはずのJRのホームからは、山寺(立石寺)が数多くの電線に消されてしまい、♪まりは蹴りたしまりはなし、猫を紙袋に押し込んで…♪ どころか、折角の“美観を押し込んで”しまっていて台無しであった。邪魔な「“電柱でござる”!」、「しばし“待つの廊下”」と他人任せの悠長なことを言ってはおられない。「都市はそこに住む人々の自画像である。長い時間をかけた集団的自画像といってもいい。そう思い定めたうえで、その自画像を論ずるのでなければ、いつまで経っても他人ごとである。美しいといっても他人事、醜いといっても他人事。」(「自画像としての都市」)
 すこし、敷地を提供して置き去り電柱を引き込む運動に取り組まないものか。
「そんなことでスカイ」と、簡単にできることではないでしょうが、・・・。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.11に掲載)


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