【北朝鮮逃避行:21】(2017年12月)

【追記】こうして、兄達からの話を書き綴りましたけれど、兄達の話を聞いて、改めて私は逃避行のことをほとんど覚えていないのだと分かりました。

北朝鮮にいるときの幼い思い出としては、段飾りのひな壇を飾ってもらった時、祖母が「このお雛様は避難するときは持って逃げようね。」と言ったこと、等身大に近い立ち人形が床の間に立っていたこと、私が抱いて横にすると目を閉じる陶器の人形を抱っこしていたこと。それから、弟のミルク(牛乳)を1人で買いに行く玄関先で、防空頭巾をかぶった私は土間に居り、母が下駄箱にからだを預ける形で私を見下ろしていた場面(ミルクを買ってくると、半分は私がもらえた記憶があります)。そして青い空に飛行機が飛んでいるのを見上げたこと。この三つが思い出としてありますが、父も2人の兄も弟も記憶に出てきません。そして、次の記憶は、博多港でずっと船上にいる時、海の向こうから小型船が水しぶきを上げて、私が乗っている船に向かってくるその姿は記憶に残っています。コレラ患者を迎えに来る船の姿です。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.208に掲載)


※北朝鮮逃避行のバックナンバーはこちらをご覧ください。