【隠居の繰り言:2】−消される歴史、蒸し返される歴史−大阪都構想②(2020年9月)

「豊中まちづくり研究所」の支援者である都市政策研究者の隠居による新コラム。2020年9月から連載スタート。

−消される歴史、蒸し返される歴史−大阪都構想②

 大阪都構想は、二重行政を解消する新鮮な政策のような印象がふりまかれているが、隠居の目には、昔言われていたことの二番煎じ、三番煎じにしか映らない。
 かつて大阪府では、目障りな大阪市を潰すことを目的として、都制論が議論されていた時代があった。それは、その後の地方自治強化、権限の国から府県へ、府県から市町村へ移譲するという歴史的な流れの中で抑えられ、忘れさられていたのだ。知事時代の橋下氏に都制論を教えたのが元大阪府幹部の国会議員であり、今の大阪府幹部職員の中には“大阪市を潰せ”という人間も少なくない、と聞く。
 現今の経済情勢から、自治体財政の合理化、自治体間の政策調整が課題であることは間違いない。しかし、問題はどのような理念に立ってどのようなことをするのかだ。醜い権限争いや、権力集中のためであってはならない。
 そもそも(いかにも年寄り臭い表現だね)、大阪府と大阪市がなぜ対立するようになったのか。20市となった政令指定都市を抱える多くの府県では大阪のような深刻な対立はない中で、何故大阪市だけが制度変更しなければならないのか。
 日本で二重行政というのがなぜ生じるのか。大阪だけの問題ではないのに。
 国、都道府県、市町村の間の権限配分の在り方を巡る歴史的な流れはどちらを向いているのか。などについて少しでも知れば、大阪市分割・権限縮小ということについて、「ちょっと待て。落ち着いて考えよう」と思うのではないだろうか。
 大阪都構想のルーツは、第二次世界大戦末期、本土決戦のために生まれた東京の特別区制度にある。当時東京市は市長公選であり、選挙によりいつ軍部に反旗を翻すかもしれない。それを防ぐため、大東京市を分割し、官選知事の東京府に権限を集中することを目的として生まれたものだ。地方分権ではなく、中央集権の賜物だ。その後の東京特別区の歴史は、権限や財源を取り戻すための運動の繰り返しだった。
 大阪府市の仲の悪さはなぜ生じたのか。戦後初めて制定された地方自治法には、都道府県と同等の権限を持つ特別市制度が規定されていた。大阪市を先頭に五大都市は特別市昇格運動を展開する。これに対し府県側は権限が縮小されると猛反対。大阪府を先頭に政治工作を展開して勝利し、自治法から特別市の規定そのものを削除し、代わりに政令指定都市制度が設けられた。
 それぞれの側の先頭に立った大阪府・大阪市の対立(府市あわせ=不幸せ)はその後も続く。財政力のあった市は、「府何するものぞ」と府と同様な制度、施設を展開。これがまた、大阪府の癪の種。府と市の対話さえ何かと途絶えた。とばっちりを受けたのは他の府内の市町村。という構図が出来上がる。
 しかし、二重行政は大阪の問題だけではない。戦後日本の地方制度が必然的に生み出したものだ。地方自治体が独立した権限、財源を持たされず、実施する事業は国が決め、実施に当たっても国が地方の、市町村に対しては都道府県が指揮官監督権をもつという、支配コントロールが行われ、三割自治、財政支配を加えると一割自治といわれた。こうして、それぞれの行政分野でどこが責任を持つのかが曖昧となり、結局、府県でも市町村でも同じような事業が並行して行われるようになる。
 地方の側はこれらを問題にしてきた。結果、2000年に大幅な地方分権を目指す自治法改正が行われた。地方の時代と言われ、その基本には基礎的自治体(市町村)が優先されるとの考えがある。しかし、この地方分権改革は、財政力が地方自治体に与えられなかったことで未完に終わった。
 今回のコロナ対策でも、「一体どこに責任があるのか」で日本中が混乱したが、結局国の意識は変わっていないという表れだ。むしろ財政困難を理由にして、地方分権に逆行している。
 こうみてくると、都制移行が大阪問題を解決する唯一の方法ではないと思われる。大阪市を解体し、財源・権限を府に移すということは、むしろ、大きな流れに逆行し、中央集権への逆戻りではないか。それも中途半端な「政令市+普通市の権限の一部」を吸い上げられた特別区にするのだ。
 権限、財源が縮小するのに住民サービスが拡充される、というのは論理的に成り立つのか。住民と行政が近づくための一つとしては、自治法に総合区制度というものある。
 それがもたらす結果を十分市民が理解するまで議論される必要があるだろう。
 これらの疑問に蓋をするのは、ゾンビを復活させるだけ、というと不謹慎か。
 改めて言うが、現状維持だけが良いわけではない。改正、改善の方向が問題なのだ。


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