【まちなかの散歩:8】まちにオ・ア・シ・ス運動を進めませんか(2009年4月)
春4月。新学期、新入生、新社会人、新卒業生、人事異動、転勤、転校、・・・。“♪桜のつぼみも膨らんでぇ、もう直ぐ学校うれしいなぁ、こんなに大きくなりましたぁ、先生、皆さん、ありがとう♪”と歌って保育園を卒園し、入学式を待っていたのは60年近くも前のことになる。
その桜も昨今、東北の桜の名所・弘前では開花時期を人工的に遅らせる工夫をしているとか。地球温暖化のせいらしい。
桜の生育環境もこのように変化しているが、人間社会の変化も負けず劣らず激しく変化している。希薄になってしまった人情、人と人との絆。
路線バスの中で幼い子どもが(いや、長じても)運転手にお礼を言うスクールバスでの習慣を微笑ましく感じていたのはいつ頃までのことか? 「バスが止まってから席を立ってください」のアナウンスは、決して無言で満員の乗客を押しのけて出口に進んで良いとのアドバイスではないはず。
狭い道での車同士の離合では互いに挨拶をする運転手も、人や自転車が待ち受け、やり過ごし時には大名行列よろしく傲慢に振舞う、その態度に怒りすら覚える。車が優先権を持つわけでもなく、ただ単にわが身が危険だから譲っているだけでもない。
貧弱な都市基盤を指摘し、改善を訴え続けることも必要だが、その一方で、“お互い様”の譲り合いで社会が成り立っていることも忘れている。悲しい。
食事の前の感謝の気持ち「いただきます」、食事後の「ご馳走さま」は、食事を準備してくれた方へのお礼と共に、生命を捧げてくれた動植物への感謝の気持ちの表現である。
ビジネスの世界では(北島三郎ではないが)、“俺の目を見ろ、何にも言うな♪”とばかりに万引きの目を見つめ、「いらっしゃいませ!」と声をかければ被害は激減するという。横断歩道で運転手の目を睨むばかりに目を向けると安心して道が渡れるとか。
まちづくり会社のチラシを撒いても無視するか、良くても無言で受け取るのは配布する人間の面相のせいばかりではなかろう。
今、メディアの世界で話題の“子供の評価”も教育委員会や教師のせいにする前に、大人達が、家庭内・地域社会での失われた会話・ささやかな繋がりを取り戻すことが先決ではないか。 まず、手始めに ①お早うございます。
②有り難うございます。③失礼します。④すみません。の「オ・ア・シ・ス」 運動をまち中で進めてみませんか?
“暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう!”
こんなこと“くらい”は出来ると賛同して下されば、とっても、うれしいです。感謝。
(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.9に掲載)
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