【豊中駅前の歴史:2】新開地市場の誕生からビル完成まで(2009年4月)

このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、また変遷を重ねてきたかを振り返り、これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました。
今回も引き続き松浦幸夫さんにお話をお伺いしました。

——今日は戦後の新開地市場のお話を伺います。前回で新開地は、ほとんど原っぱみたいなものだったということでしたが、いつ頃から市場になっていくのですか?
その市場が5階建てのビルになるのですが、そのあたりのお話を聞かせてください。
【松浦】昭和37、38年頃に稲荷神社の鳥居と豊高道を挟んでライフができました。ライフの第1号店ですね。当時未だスーパーは珍しいものでした。このスーパーの登場が新開地市場に大きな影響を与えたと聞いています。このままでは駄目だと思った商売人が多かったのでしょう。また、その頃に豊中駅を2階建てにして、国道の上に人工広場をつくり東側と繋ぐ計画が持ち上がりました。新開地市場はその計画に乗り、人工広場とデッキで結ぶ5階建てのビルが昭和43年に完成しました。地下にはライフ、1 階は市場、2階は文化用品やフランス料理店、3から5階はニチイと展望レストランと当時宝塚沿線の駅前のビルとしてはハイカラなものでした。人工広場の下は阪急バスのターミナルになり、東豊中や旭丘の団地をはじめ、バスと電車の利用者がどっと駅前に来るようになりました。私が商売している通りもその頃に「一番街商店街」と名付けられました。豊中駅前の黄金時代でした。ホテルアイボリーが建ったのもその頃です。
——新開地のお話を伺って、戦前から昭和までの豊中駅前の姿がよくわかりました。有り難う御座いました。

2009年2月17日松浦幸夫氏談


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