【まちなかの散歩:132】七夕を前に消えた“おかあさん”(2019年8月)

 七夕を前に妻が他界し、「筆を執る気力が起きないから」と「コラムの休載」を編集者に申し入れたところ、「そのような状態を充分理解した上で、ぜひ何か書かれることをお勧めいたします。今の想い、今でしか書けない想いを書かれるのが良いと思います。書くことで整理がつくこともあります。今までとは別な社会の時世から隔たった「極私的つぶやき」も人の心に響くものがあります」と背中を押されて現在の心境を吐露します。お許しください。
 コラムの粗原稿を真っ先に点検してくれた“お母さん”。“好意ある批判者”のプロポーズの文句をいつも実践してくれたあんたやから今度も推敲して欲しいんやけど。今度は、いつでも表に出ることを極端に嫌がっていたあんたのことを書いた原稿を見せたら「これは絶対にアカン!」と叱られそうやなぁ。ボロクソに言うてもええ、もう一遍怒ってくれよ!1週間前にはリハビリで30mも歩けたんやからなぁ。
 「フォーラムのポスターが要るんや」と言うとPC教室に通ってマスターし、まちづくりニュース、会社のHPを作り続けてくれているS氏の作品をお手本として学び続けてくれたなぁ。講師の「送迎をしてもらった車中での会話を思い出す」とメールをくれた方も多かったで。よう覚えてくれてはったんや。
 寄席の座布団はあんたが結婚した時に持ってきてくれた夫婦布団やったなぁ。支度部屋用の茣蓙と座布団を担いでアイボリーまで行ったやん。縁の下の力持ち、好き放題に夢を追い続けるあほな亭主の恋女房、亭主の好きな赤烏帽子や。ありがとう。病気になってから「あんたは主婦は定年退職や。これからはワシがやる」というて後期高齢者直前の手習い。大分出来るようになったけど、病室ででも教えて貰いたいことが残っていのに。まだまだ免許皆伝まで遠かったのに。残った書類をきちんと整理していること、びっくりや。
 お母さん!「親父をあんなダメ人間にしたのは、おかんが甘やかせたからや」という。その通りやけど、あいつらが、放心状態の私をかばってあんたの代わりになろうと一生懸命やってくれています。ワシも「“老いては子に従え”を地で行ってます。あんたがおれば、まだまだ偉そうに出来たのに、ホンマに残念や。
 気が付いたら付き合い始めて50年を超えているんや。結婚までの期間が長かったから、まだやったけど金婚式を子や孫たちに囲まれてしたかったぁ。トイレに行けなくなって両手をワシの肩に回して身体を預けたのが最後やったぁ。もっとしっかりと抱いてやりたかったよ。ええ女やったで。すまん。
昔話をポツリポツリと話し始めていたから、お前も歳行ったなぁと思ってたけど、まだまだ聞けてないやん。押入れに入っていたアルバムの職場のこと、旅のことなんて知らんことばっかりや。残念や。
「学校に行ってた頃は、“聖母マリヤ”と言われていたんよ」というあんたに、そんなら「ワシは中元ハチ公やな」とダジャレを言うたんを覚えてるやろ。あんたの兄貴が葬式の後、「真面目で横道に外れん人やで幸せやねん。まぁダジャレが多すぎるけどね」と言っていたそうやけど、直接聞きたかったなぁ。そういうあんたもダジャレをいうようになってたやんか。日曜日の『笑点』をみて笑い転げてたやんか。
 ジャニーズのことも、去年はあんたがポスターも提灯も作って「豊中検定」で鈴を鳴らして「おめでとう」と昔取った杵柄で幼い子供を喜ばせた七夕まつりのことも、今年は耳にも目にも止まらんわ。お前が治療の最後の心境はこれ以上やったんや。かわいそうになぁ。必死に戦い、眺めの良い家に帰りたかったんや。「お父さんの力が続く限り家で一緒に暮らしたい」というてた。せやから仕事も辞めて、不義理でも友人との付き合いもやめて、そうしてやるつもりやった。ホンマや。聞き届けられんで、すまん。
 七夕が来ると恋人が出会えるというけど、恋人との別れという七夕もあるんや。もっと出会いたいよ。
 やっぱり、このコラムはあかんか?「添削以前に、私のことは書かんといて!」やなぁ。文句があるなら、戻ってきて原稿を取り上げてくれ! ワシの書類整理の悪さを嘆いていた未整理のコラムや。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.231に掲載)


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