【まちなかの散歩:102】2017年の一か月(2017年2月)

 2017年と年が改まって早や一か月。我が家のカレンダーには西暦に平成29年と昭和92年を付記している。昭和の年号で年を記してきた者にとって、西暦は年号で数えるより便利であるが、自分の記憶をたどるには些か時間がかかることへの細やかな工夫である。まことに細やかではあるが。
 さて1月17日は平成7年の阪神大震災から22年目である。豊中市でも、まちにも心にも大きな傷をもたらしたが、まちの建物だけは見違えるように綺麗になった。そして3月11日で東日本大震災から6年となる。見えない心の傷を負いつつも細やかなコミュニティづくりを試みている東北の方々に支援の手を差し伸べようと、私の知人たちがチャリティーバザーで集めた支援の多額の資金を携えて年末に福島を訪ねている。熊本も今なお手つかずのところが少なくないと友はいう。何処に税は行っているのか。
 3月12日からの大相撲大阪場所で荒汐部屋が稲荷神社裏手の合宿所にやってくる。かつて「豊中まちづくりフォーラム」にも出席してくれた部屋頭の蒼国来も初場所では前頭10枚目を張っている。
 閑話休題。元日に手にして新聞にいくつかの都市の選挙予定が掲載されていた。得意げに「首相の専権事項」と側近が語り解散が噂されながらも任期満了であれば衆議院は2018年12月、参議院は2019年7月に半数は任期満了である。大阪府では府議会議員が2019年4月に、知事が2019年11月に任期満了となる。さらに身近な豊中市も2018年5月に市長の任期が満了となり翌年の1019年に市議会議員の任期が終わる。すなわち、衆議院が解散されて選挙がなければ、今年は選挙が全くない年となる。現在の椅子に安住している政治家とその取り巻きに取っては、心休まる年なのかもしれないが、現状に満足していない市民にとっては、民意を反映できない耐えられない空白の年であり、都市改革が進められない年でもある。選挙至上主義の政治家にとっても、それ故に今年は、その財源・権限・情報・人脈を駆使して民意を反映する政策研究に時間・エネルギーを注いでもらいたいものである。国民生活の安全を口実とした国の「自治」への介入とそれを良しとする自治体側の姿勢と能力の劣化。痛ましい限りである。次回は市長無投票はやめてくれ。まったくもって情けない。
 ここ最近の世界の動向からみても建前だけを主張していると手痛いしっぺ返しを食らう民主主義ではあるが、「一隅を照らす」という細やかな他人への配慮を忘れることなく、我々が子孫から借りているこのまちなかで「政治の支配下にある国民ではなく、政治に物を言いながら自らの道を切り拓く国民に成長していくべきだ」という年頭に読んだ文言を大切にして、今年も1年を過ごして行きたい。「奇跡は望むものではない。欲しいと望むものを自ら作るものだ。それをもとめるなら、まず諦めること自体を諦めることだ。どんな時でも希望は絶望のど真ん中にある(むのたけじ)」こうして年を越え、新しい年を迎えている。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.189に掲載)


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