【まちなかの散歩:60】8歳での満州引き揚げ体験を語る(2013年8月)

 昨夏、256ページもの原稿用紙に手書きの手記を見せられる。隣接する小学校での講演の基となる『満州引き揚げ記』である。「“生き延びた記録”を残せ」と母親から励まされて書き綴ったという。既に一部は、他の方の記録と併せて豊中市で冊子にされているが、そこでは全文は採録出来ていない。これは是非とも出版して後世に残しておかねばと引き受けた。それから妻と二人で活字化しながら、しばしば、涙でキーボードが見えなくなった。
 事前に出版を予告すると、内容が感傷的だとのお叱りの声もあったが、自分の経験、家族の経験、戦争を知らない世代の感情等を込めての励ましや期待の声が多く寄せられた。それに応えようと誤字・脱字を重ねながら本業の合間を縫って打ち込んで行った。
 すでに、デジタル版『嗚呼(ああ) 命(いのち)』を希望者には送信しており、多くの反応を頂いた。
この引き揚げまでの記録『嗚呼 命』と、引き揚げ後の生活(“苦労と楽しみ”)を知りたくて、『引き揚げ後』の執筆を依頼して出版までにさらに時間を要したが、これが続編となっている。

「中国大陸・東北部・旧満州国・間島省・琿春街(ワンチェン)」
在満国民小学校へ入学して早や一年、平和な毎日を過ごしていた。だが、平和な家庭に突如危機が来た。厳戒警報が鳴るようになり、楽しいはずの夏休みが変わってしまった。
一九四五年(昭和二十年)八月十日、朝食が終って暫くした頃、「ウーウーウー・・・・・・・・・」 空襲警報が、けたたましく鳴り渡る。家を飛び出して空を見上げると青空の奥深くにキラキラ光るものが見えた。「飛行機だ。お母さん、飛行機がいっぱい飛んでるよ。」おふくろや姉たちに知らせに入った。日本軍のか、ソ連軍のか分からないが数機見える。飛行機に見とれていると、馬に乗った憲兵が「直ちに避難する、全員駅前広場に行け、今すぐ行くのだ、早く行け。」何度も繰り返しながらみんなを追うようにムチを振りながら走り廻っている。僕達子供はなんだかさっぱり分からないので、家の中のおふくろに聞こうと思い、急いで入って見ると、おふくろはおろおろしている。すぐに電話のベルが鳴った。おふくろが受話器を取り話している。親父は朝から病院へ仕事に行っているので、親父からの電話らしい。おふくろは電話を切るなり僕達子供に、「みんな、今すぐに出かけなければならなくなったの、すぐ出るよ、支度をしなさい。」

で始まる満州引き揚げ記『嗚呼(ああ) 命(いのち)』をやっと200ページ余の本に出来た。その出版記念講演会を『8歳での満州引き揚げ体験を語る』と題して、今月8月20日18時半から阪急豊中駅前のマストメゾン1階にある摂津水都信用金庫の研修室・チャオパルコで開催することとなった。(第66回「豊中まちづくりフォーラム」)「出来るだけ沢山の人々(とりわけ若者)に読んで欲しい」という著者の意向に沿って、当日、実費以下で頒布出来ることをうれしく思っている。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.110に掲載)


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