【まちなかの散歩:74】予備校のチラシ(2014年10月)

 大手予備校・代々木ゼミナールが受験生数の減少で全国の7割に当たる20校舎を閉鎖するという。浪人した今は亡き親友が一念発起し、親に無理を言って代々木ゼミで学び、田舎から東大に進み高級官僚になっていった出世話を思い浮かべる。
 毎朝の散歩道、豊高の門前で予備校名を名乗って入学勧誘チラシを配る大学生の姿を目にする季節になった。だが軽く会釈して傍を通り抜ける生徒は未だましで、殆どがビラを受け取らない。かつて駅頭で、仕事やボランティアで各種のチラシを手渡した経験があるが、かなりの方から無視され通り過ぎられた。遠回りしてまで避けられたときは、追っかけて渡してやろうかと思うこともあったが・・・。予備校のチラシも、手を出して受け取るのが億劫だとか、ゴミになるのを嫌がるからだというが、飴玉やボールペンを同封すると受け取る率が高まるとバイト経験のある学生が言う。そういえば、ティッシュ付のチラシは受け取ってくれていたなぁ。
 何事も立ち位置を変えてみることが大切なのだろう。商店街の店前を行過ぎる通行人は、その時は自店の客ではないが、いずれ貴重な客となる方々でもある。昔、“店の側からもの見ずに、客の側から店を見ろ”と経営指導者が商店主に言い聞かせていた。そういえば、6月22日(日)に開催された「豊中駅前観光ツアー」に参加して思い出したことがあった。街中を目隠しして歩き視力障害者の苦労を、車椅子に乗り凸凹の歩道を進み車道と歩道の段差に障がい者が味わう苦労を体験したことである。排気ガスが顔にかかるということもそのとき初めて知った。その歩道で言えば、今や車道の左側とルール化された自転車が我が物顔で疾走する。夜の無灯火運転は論外である。(11月の豊中まちづくりフォーラムでは、この自転車問題を取り上げる予定である)
 今、世界中で起きている戦争の多くが宗教戦争の相を呈している。神によって幸福を求め神のために戦うことに、曖昧な仏教徒でしかない者には不可解な現象として映る。自らの戦争体験を語ると同時に、ささやかでも戦争を起こさない行動を起こすことも心がけたい。
 消費税を上げてもなお大赤字の国家財政から政党補助金が支給されている。それでも足りずか経団連が政治献金を再開する。「日本経済の国際競争力を高めるために、細かなことを言っておれる場合ではない」と言い切る財界リーダー。どこまで行けば国民一人ひとりに回してくれるのか。政治には所得再分配機能があると学んだのは間違いか。昔、“徴税課”と呼んでいた役所の税の窓口が“納税課”と呼ばれてから久しい。あの役所ですらである。
“you attitude” 相手の立場になって考える態度、相手の立場に配慮できる人々があふれる地域社会・世の中にしたいものである。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.137に掲載)


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