【豊中駅前の歴史:36】カトリック豊中教会 その2(2012年6月)

このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました。
今回は「カトリック豊中教会」を訪れ、教会の受付業務をされている評議会副議長の花木さんに案内して頂きました。

——花木さんは長くお世話をされているのですか
花木氏:私はこの教会で生まれたようなものです。生家が稲荷神社の横にありまして、両親はこの教会で結婚式を挙げました。教会が建ったのは昭和14年で、翌年のことでした。私は昭和20年に生まれましたが、小さい時から教会は私の遊び場でした。今建っている聖堂はその当時のままです。
——正面の塔は何処となく和風を感じますが。
花木氏:正面の塔は鐘楼です。当時桜塚に住んでいた手塚治虫氏が作品に使ったとの謂れがあります。屋根は瓦葺であること、そして鐘楼の周りに欄干が張り巡らされているので日本の寺院を感じさせるのでしょう。カトリック教会でこのような和風を大胆に取り入れた建物は殆ど無いと聞いています。阪神大震災の被害を受け、瓦だけが葺き替えられていますがそれ以外は建てられたままです。
入り口のドアのガラスをよく観ると、ハートが刻まれています。これはチェコのデザインです。この建物を設計したのはチェコ生まれのスワガー氏です。スワガー氏は日本に来る前に中国にいたこともあり、和・中・洋が混在しています。
——中の礼拝堂を見せていただきます。
花木氏:入って直ぐ横の丸窓や2階の正面の木の壁のデザインなどは中国風です。正面の祭壇には十字架が立っていますね。その後ろの絵を観て下さい。
——富士山がキリストを抱く聖母マリアの下に描かれていますね。
花木氏:日本人の心のシンボルである富士山をこのように描かれることは、他の教会では先ず見かけないですね。
天井は欅のベニヤの格天井、壁は真っ白な漆喰、柱は杉の丸木、桟敷に合いそうな照明器具、縦長の格子窓が連なるなど、随所に和風建築が取り入れられています。信徒が日本人であることを良く考えて、作られたのでしょうね。
祭壇の上は折り上げ格天井になっていて、自然光を取り入れ祭壇を照らすように工夫がされています。
——礼拝堂の向かいにある部屋は集会場ですか。
花木氏:そうです。結婚式の時は控え室にも使います。昔は畳敷きで舞台もありました。私が小さい頃はクリスマスなどに行われる聖劇だけでなく、「瞼の母」みたいな大衆劇もやっていましたね。地域の方々のまちの集会所として使われていたのでしょう。古い写真を見ますと、出征兵士の壮行会も行われていようです。
このようにこの教会は長く地域とともに歩んできました。これからも地域に開かれた教会として活動していきます。
——今日は有り難うございました。

(花木一夫氏 昭和20年生まれ 上野東在住/ カトリック豊中教会評議会副議長)


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