【まちなかの散歩:65】自己採点(2014年1月)

 明けましておめでとうございます。昨年中は「まちづくり会社」へのご理解・ご支援を頂き感謝いたします。お陰様で創立以来15回目の正月を迎えられました。既にお気づきの通り、新たなボランティア・スタッフを迎え、活動を一層充実させようと燃えております。ささやかな活動ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年暮れ、日課である稲荷神社への参詣後の朝の散歩中、ノートを読みながら歩く豊高生達に出くわす。懐かしい期末試験の風景である。幼い頃、算数問題を自作・自答する宿題を出され、易しい問題で誤魔化していた報いで実力がつかず、未だに銭勘定ができない。しかし、笑い話で済ませられないのが、昨年暮れに成立してしまった特別秘密保護法。試験では、範囲も内容も教師が決め受験生が答える。採点は勿論、受験生ではなく教師が行い、成績が決まる。一方、この法律は、官僚自らが「問題(=“秘密の範囲”)を設定」しておいて、それが妥当か否かを「自己採点」するという仕組みだ。市長のマニフェストを後援会が採点する愚よりもひどい。近代民主主義の原理は、「主権在民」と並んで「三権分立」であると、学校で習った。効率は悪いが、それぞれの権力の横暴をチェックするための知恵であると。このチェックが壊されるとどうなるかは、最近の近隣の国の恐ろしいニュースを見れば容易に理解できる。
 “時間をかけて問題点を議論してほしい”という多くの国民の意見は通らない。これも学校で習ったが、”国政は、国民の厳粛な信託によるものであって”という憲法の精神は、どこに行ったのだろうか?そうか、国民の意見に敏感なのは選挙の時だけか。嫡出子問題での最高裁の判決も無視すべきと言う国会議員もいるらしい。そうか、憲法そのものが否定されようとしているのか。とはいえ、「成立した法」も改正・廃止は出来る。不甲斐ない民主党に愛想をつかして投票した結果であり、政権交代と(公約に無かったとはいえ)政策変更を国民が選択した結果でもある。本当にこれを横暴と怒り指弾するなら、次の選挙で法の改正・廃止を主張する政党に投じれば良いだけである。
 だが、この「ニュース」も法成立後、ほとんどのメディアが(いつものように)扱いを変えた。「消耗品」としてのニュースである。これでは、“人権は商品ではない”と、メディアがいくら言い張っても信用できない。さらに、残念ながら我々は忘れやすいし、見事なまでに論点を隠され、騙されてしまう。メディアが次々と煽る社会現象に目を奪われ、怒りを忘れ、身を任せ、現状を追認してしまう。教育の中立性を理念としてきた現行の教育委員会制度は時代にそぐわないとして、公選首長の指揮下に置くという。政治主導の教育の恐ろしさは国粋主義となっている近隣の国々を見ればわかる。変革すべきは「制度」ではなく、国民・市民が自ら考え、成熟した議論ができる力を養えるようにする「中身」ではないだろうか。

 これから寒さは厳しくなるが、冬至を過ぎれば日が長くなることも忘れないでおきたい。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.120に掲載)


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