【まちなかの散歩:45】真贋(しんがん)(2012年5月)

 真贋。本物と偽物のことである。テレビの鑑定バラエティ番組『なんでも鑑定団』だけでなく、美術品・骨董品の世界でよく問題になる。最近、どの町にいっても貴金属の買取店が目立つ。年季の要るはずの商売で、目利きが大変だろうと他人事ながら思う。昔は、こっそりと質草を運び込んだ商売が繁華街で店を張る。さぞ、老舗・質屋も大変だろう。

 中学生の頃、家業が骨董品屋であった教師に可愛がられ、数多く陳列された骨董の陶器・鎧兜・刀が保存陳列してある部屋に一週間もの間、寝泊まりさせられたことがあった。「本物と偽物を見分ける力をつけるには、本物を見続けることが一番重要だ」という教えだった。今頃、そんなことをさせる教師は皆無だろうし、実行する生徒もいないだろうが、私はそれに従った。昼なお薄暗い中、とりわけ髭をピンと張った甲冑は恐ろしかった記憶はあるが、未だに偽物をつかみ続けていることを思えば、結局は、修行も身に付かなかったということになろうか?あるいは修行自体が間違っていたのだろうか?(先生!ごめんなさい。そんなことはありません。私のその後の修行不足のせいです。)

 魚の天然物と養殖物の違いが判らない客が増えてきたと嘆く魚屋の友人がいる。不景気・将来不安等の経済的な理由で、あえて安い品を求めるという傾向は否定できないが、“味覚が落ちた”という背景に学校給食制度のせいだとする識者もあり、“旬”を問わなくなった“生活者”ならぬ貪欲な“消費者”への迎合した生鮮食品の提供の仕方、便利さを求めた結果なのか。また、テレビ局が視聴率を高めるために、芸能人やスポーツ選手をコメンテーターとして扱い、自分が極めた専門分野でない政治・経済などの分野に口を挿んで(挿まされて)いるのが目立つ。本業に忙しくて関心を持たなかったはずであるが…。芸能人が野球のコメントをしている時に、本物の解説者が「それは、素人の考えで、プロは、そうは見ませんね」と“解説”してくれることを期待している視聴者も少なくないと思う。

 とはいえ、地域社会では、都市計画・まちづくりに“素人”の市民にも、(地域社会を一番よく分かっている)“地域のプロ”“本物の市民”として“自らのまち”の将来像・夢を描く権利がある。その夢を描き、実現するために専門家や行政が“支援の手”を差し伸べる役割があるのではないか?“論より証拠”というが、詭弁を弄してもその行動を見れば地金が出てくることは少なくない。“ここまで来い”の姿勢では、市民の期待から大きく外れていく。バラバラになってきた地域社会を見る度に、本物の政治家・行政の役割は、“市民生活の質の向上”を実現するためにあるのだと今更ながら思う。
 国・地方を問わず、内向きの姿勢を正し、本物の民主主義・地域主義、本物のコミュニティ政策を期待したいが、我々も自分のためにも真贋を見抜く力を養いたいものである。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.80に掲載)


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