【豊中駅前の歴史:70】兎川のまちづくり(2015年9月)

前回に引き続き、柳田さんにお話をお伺いました。

——柳田さんが上野地区のまちづくりを始められたきっかけはどんな事からですか。
柳田氏:集中豪雨による浸水もありますが、やはり1995年1月17日の阪神・淡路大震災ですね。危機感を持った有志が集まり、地域の環境・交通・防災の検討、井戸マップの作成などの経験を踏まえて、「上野地区まちづくり研究会」が1996年4月に発足しました。まちづくりの資料の収集・整理、建築協定などのルールづくりの研究、地域内美化清掃、めいわく駐車排除運動、兎川の親水空間づくりや美化運動、集中豪雨被害情報の収集、まち歩きマップの作成、新築マンションの防火水槽の設置提案など精力的に活動しました。震災の3年前に「豊中市まちづくり条例」が制定され、住民が自ら地域の問題を考え解決していこうとする活動には、積極的に支援してくれました。これが「上野地区まちづくり研究会」の原点です。
——仕組みづくりも大変だったでしょうね。
柳田氏:紆余曲折はありましたが、1998年にこの活動の成果をベースに、周辺の自治会にも参加を呼びかけるため「上野地区まちづくりジョイント研究会」の設立を目指します。その規約の要旨は●まちづくりは、「かね・ちえ・あせ」の提供による自己責任、行政との「協働(コラボレーション)を原則にして横断的に進める。●まちづくりの第1の柱を「緑・水=インフラ・自然環境」、第2の柱を「共生=福祉・教育・活性化」、第3の柱を「安全・防犯・防災」とする、でした。
——周辺の自治会は理解してくれましたか。
柳田氏:残念ながら、いわゆる縦割り社会の背景もあって理解は得られませんでした。そこで原点に戻って「住みたいまちにしたいという人たちの意志に基づく会」として、メンバー10名で設立準備会を立ち上げました。設立趣意書を配布し、個人会員を募集し、個人会員17名で1999年12月に設立総会を開催しました。翌年には団体会員3団体が参加。2001年には、「上野地区ジョイントまちづくり研究会」から「特定非営利活動法人まちづくりネットワークゆう」に移行しました。2007年に解散するまでの雨水研究会、兎川子どもワークショップ、緑と水のフォーラムなどの活動を基に、「兎川流域の整備」、「地域の安全」、「まちづくりと協働」についてそれぞれ提言としてまとめています。
——最後に、兎川とはどの辺りを流れている川ですか。
柳田氏:上野坂にある上野会館の辺りから熊野田町の赤坂の交差点付近で、天竺川に合流するまでの小さい川です。その内目視できるのが約1、500mです。春は上野郵便局辺りの川岸の桜並木がきれいですね。
——今日はありがとうございました。

プロフィール/柳田 保男 氏 :昭和2年生/上野東一丁目在住


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