【まちなかの散歩:54】嗚呼(あぁ)、命(2013年2月)

 日数が少ないため、“2月は逃げる(ように早く経つ)”と言う。
“逃げる”で言えば、今、仕事の合間を縫って取り組んでいる作業がある。8歳の時、旧満州で終戦を迎え、敵の目を避けながら女性や年配者ばかりで何日も歩かねばならならず、幼い妹を亡くしてしまった子供の頃の体験記である。やっとのことで舞鶴港の日本の土を踏んだという現在75歳になるK氏が20年前に書かれた原稿用紙256ページにもなる満州引揚記『嗚呼、命』の活字化である。

 その書き出しは以下のとおりである。

「戦後50数年が過ぎたにもかかわらず、今なお戦争の傷跡が残ったままになっている。原子爆弾による被爆者問題、中国残留孤児の帰国問題は解決したものの、帰国後の生活問題、朝鮮従軍慰安婦問題、戦場となった異国と日本の幾多の島々に、未だに我が故郷に帰国できない遺骨が多く残されたままになっている。未だに寂しく眠っている。(中略)
 私たちも終戦の時、満州で命を落としていたかも知れない。又、兄弟が孤児になっていたかも知れない。
 避難避行中に妹一人を死なせてしまったものの、親切な中国の人達のお陰で、栄養失調や発疹チフスと言った大病にも命を取られず、私達家族5人は揃って帰国することが出来た。
 戦争は軍人と一部の人達だけの問題ではなく、子供から年寄り等家族まで、まったく戦争に関与していない者までが、大きな犠牲の中へ巻き込まれてしまった。戦場となった場所では、命を、家を、財産を、幸いにして命は助かっても我が身一人逃げるのが精いっぱいで、家族の遺骨まで奪ってしまった。このような悲惨なことは忘れてくれと言われても忘れられることではない。
 戦争による数多くの孤児や婦人、死亡者を現地に残してしまった実態、戦争の恐ろしさ、悲惨さ等、戦争を知らない子供達や多くの人達に、又、人の命を大切に思っていないような行動に走る人達に、命の大切さを知ってもらいたい。2度と戦争は起こらない、人の命を軽視しないことを願って、終戦当時小学生だった私が、生死を彷徨(さまよ)う中で体験したことを思い出すままに書き留めてみた。小学低学年生の出来事だったので、事の前後や間違い、不十分な点が多々あるだろうが、お許し願いたい。
 戦争の犠牲は一時的なものではなく、2次・3次と何代まで続くか分からない。日本国民は戦争を、戦場を原爆を体験した国民なのだ。戦争は人殺しだけに止まらず、美しい地球をも死に至らしめてしまう。
 戦争は2度としても、させてもならない。人の命を大切にする、人間に生きる幸せをくれる地球を、美しい心ある日本国民と世界の人達とが手を取り合って、この美しい地球を守ってほしい。」

 20年前の作品とはいえ、今こそ、早く日の目を見せたい。

(『豊中駅前まちづくりニュース』Vol.98に掲載)


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