【敬天塾:195】来日120年のW.M.ヴォーリズがもたらしたもの(2025年5月)

第195回敬天塾

□主催:豊中まちづくり研究所
□日時:2025年5月27日(火)18時30分から
□会場:阪急豊中駅前 ホテルアイボリー 2階 菫の間
□会費:1,000円
□テーマ:来日120年のW.M.ヴォーリズがもたらしたもの
□講師:芹野与幸氏((株)一粒社ヴォーリズ建築事務所 顧問)

■講演概要

1905年初冬、一人の米国人青年が日本の地に降り立った。24歳の青年William Merrell Voriesが、84歳で召されるまでの生涯で遺した足跡は、日本の文化に様々な影響を与えた。
近年、彼が建築家ヴォーリズとして世間の注目を受けるようになったのは、滋賀県豊郷町に旧豊郷小学校建て替えが全国ニュースや、大阪心斎橋のランドマークとして知られる「大丸百貨店」の取り壊し報道などでもあろう。
当初滋賀県八幡商業の教師として来日したヴォーリズが、後に興した地方都市の小さな建築設計監督事務所は、戦前戦後を通して2,700有余という驚異的な数の件数を数えたと記録されたことで、現在では「建築家ヴォーリズ」として知られるようになった。
ヴォーリズが教え子たちと共に設立した「近江ミッション」を創立し、その収入源としての建築設計監督事務所を立ち上げた。キリスト教信徒であったヴォーリズが多くの建築を手掛けるきっかけとなったのは、既に定住していた外国人宣教団体からの学校建築、教会建築、住宅建築などの受注であった。また、顧客の、要望に応えるため、日本より数十年先を行く母国から最先端の技術や資料、部材を直接手にすることができた。そこで「近江セールズ」という輸入部門を開設し、建築部材だけでなく家具や生活用品などを積極的に扱った。このことは結果的には当時の日本社会ではまだ一般的でなかった生活文化をもたらすことになった。
当初の宣教師らの要請に応えて設計された全国各地の建築に加え、ヴォーリズが日本国内での西洋建築を手掛ける存在として知られるようになったのは紀伊徳川の徳川頼貞との出会いから東京麻布に建設された日本で最初の洋楽専門のコンサートホール「南葵楽堂」の完成であろう。これが報道されることによって、ヴォーリズ建築事務所の名は広く日本の社交界、財界人、在日の外国人だなどにも知られるようになった。
今講座では日本でクラシック音楽の普及に熱心であった徳川頼貞との出会い、音楽堂の詳細にも触れ、日本での芸術文化にも寄与したヴォーリズの横顔を紹介する。

■講師プロフィール

1951年8月生まれ。桜美林大学英米文学科卒、東京早稲田にある財団法人キリスト教マスコミュニケーションセンターAVACOにて視聴覚事業に従事、東京赤坂の赤坂六本木再開発事業(アークヒルズ計画)に際し、自らが所属していた霊南坂教会の会堂改築事業の事務局長に就任。建築設計に関与した(株)一粒社ヴォーリズ建築事務所から招請を受け、平成元年より同社経営管理室長に就任。定年退職後顧問に就任。同時に公益財団法人近江兄弟社嘱託研究員として機関誌の編集、執筆に従事して今日に至る。ヴォーリズが関係した諸団体、大学、YMCA、NHK文化センターなどでヴォーリズについて多数の講演活動をしている。大学紀要への寄稿や公益財団法人近江兄弟社発行の月刊誌「湖畔の声」では「からし種のゆくえ」と題した寄稿文が連載されている。

■参加申し込み

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